こたつライブ@のっぽ邸 | New 天の邪鬼日記

New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 西東京保谷にある「のっぽ邸」でこたつライブがおこなわれた。
 部屋いっぱいに15人の観客がきて、シャンパンやワインを飲みながら生歌を聴くという趣向だ。
 ソロアルバム「alone」を中心に選曲し、ポエトリーリーディングや演歌シリーズなどを用意していたのだが、その歌詞カードを丸ごと家に忘れてきてしまった。
 まあ常に予測不能人生をやってきたオレはパニくらない。
 「手持ちのカードから最大限の効果を引き出す」のが信条である。
 オレは、急きょ曲目を新曲中心に変更し、歌のワークショップをやることにした。

1,Dancing BUDDHA
2,moon time
3,Brave heart
4,fragile

5,チュプカワ
6,Hobo's Lullaby
7,Motherless Child
8,Rye Wiskey

9,Alone

 5,6,7,8曲目の歌詞カードを全員に配り、いっしょに歌ってもらう。この4曲はオレがつぎの時代に歌いつないでいってもらいたい選曲だ。
「チュプカワ」はアイヌのイヨマンテ(熊送り)という儀式などで歌われる「神降ろし」の歌である。日本語の意味は、東の空からフクロウの神様がやってきてアオダモの木にとまる。岩山の端で長い鳴き声の響きを聞いたというものだ。
 アイヌはフクロウをコタンコロ(村を守る)・カムイ(神様)と呼び、知恵の神様として敬った。今日のワークショップではふたり一組になってもらい、輪唱をする。むずかしいかなと思いきや、すっげー美しい輪唱になったのでびっくりしたよ、マジ。

「チュプカワ」
 
チュプカワ
カムイラン
イワニテッカ
オレウ
イワトゥイサム
エタンネマウ
アノウ

 つぎの「Hobo's Lullaby」は、20年ほどまえにオレがアメリカを放浪していたころによく歌った歌だ。オレの師匠であるブルースマン「粉じじい」ことピーターから教わった。
 1900年代のはじめアメリカには「ホーボー」と呼ばれる移動労働者がたくさんいた。彼らは貨物列車に忍びこみ、ただ乗りしながらアメリカじゅうを移動したのだ。80年代でさえまだホーボーの生き残りがぽつりぽつりいた。オレも2度ほどホーボーたちと貨物列車に乗ったことがある。乗るのはかんたんだが、降りるのは命がけである。操車場にはいったとたん点検がくるので、そのまえのスピードが落ちるカーブで飛び降りなければならない。鉄柱にぶつかったら死ぬし、足を骨折するやつもいる。オレも飛び降りたときには雪の斜面を転がり落ちた。
 そんな危険を差し引いても貨物列車のなかで板のすきまから星をながめホーボーたちの話を聞くのは楽しい。やつらは必ずこの歌を歌ってくれる。

「Hobo's Lullaby」by Goebel Reeves

Go to sleep weary Hobo,
おやすみ 疲れたホーボーよ
Let the towns drift slowly by
町々はゆっくりと流れていく
Can't you hear the steel rail humming
線路のハミングが聴こえるだろう
That's the hobo's lullaby
それがホーボーの子守歌さ

Do not think about tomorrow
明日なんて気にすることないさ
Let tomorrow come and go
明日はやってきてはまた去っていく
Tonight you're in a nice warm boxcar
今夜君は暖かくて素敵なボックスカーにいる
Safe from all the wind and snow
それは風と雪から君を守ってくれるだろう

I know the police cause you trouble
警察とのトラブルはやっかいだなあ
They cause trouble everywhere
トラブルはそこらじゅうにある
But when you die and go to heaven
でも君が死んで天国にいったら
You won't find no policemen there
もう警察なんていないから

I know your clothes are torn and ragged
おまえの服は破れてボロボロだね
And your hair is turning grey
おまえの髪も白髪が増えた
Lift your head and smile at trouble
さあ顔をあげて困難を笑い飛ばせ
You'll find happiness some day
おまえはいつか幸せを見つけるだろう

G Am D7 G
G Am D7 G

 つぎは有名な黒人霊歌「Sometime I Feel Like A Motherless Child」(ときどきわたしは母のない子のように感じる)だ。
 いろんな歌手が歌っているが、オレがいちばん好きなのはゴスペルの女王マハリア・ジャクソンの歌ったものだ。マハリア・ジャクソンはマーチン・ルーサー・キングJr牧師の葬儀でも歌ったり、全身からほとばしるような魂の叫びは圧巻である。
 奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人たちは、その悲しみをゴスペルにこめた。
 彼らの子どもたちは児童労働者として親から引き離され、この歌を生んだ。この歌は黒人だけじゃなく、自分の存在に悩むすべての人に普遍的な内容を歌っている。

「Sometime I Feel Like A Motherless Child」

Sometime I Feel Like A Motherless Child
ときどきわたしは母のない子のように感じる
Sometime I Feel Like A Motherless Child
Sometime I Feel Like A Motherless Child
A long ways from home,
家から遠くはなれて
A long ways from home,

Sometime I Feel Like I'm almost gone.
ときどきわたしは死んでしまったように感じる
Sometime I Feel Like I'm almost gone.
Sometime I Feel Like I'm almost gone.
A long ways from home,
A long ways from home,

Sometime I Feel Like A feather in the air.
ときどきわたしは宙を舞う羽ように感じる
Sometime I Feel Like A feather in the air.
Sometime I Feel Like A feather in the air.
A long ways from home,
A long ways from home,

Em   Am  Em Em
Am Em B7 Em C B7 Em

 最後は酔っぱらいの宴会ソングである。
 1930年代民俗音楽研究家の父John A. Lomaxと息子Alan Lomaxはアメリカじゅうを旅しながら庶民に歌い継がれる音楽を収集した。もし彼らがいなければたくさんの名曲が埋もれていたかも知れない。
 この「Rye Wiskey」(ライ・ウイスキー)はカウボーイたちが歌っていたアル中の歌である。オレは麻薬中毒時代にAA(アル中の相互扶助団体)に参加したとき、この歌を教わった。絶妙のユーモアにくるまれた深い絶望が酔っぱらいの哀愁をかもしだしている。
 
「Rye Wiskey」

Rye Wiskey rye wiskey
ライ・ウイスキー ライ・ウイスキー
Rye Wiskey I cry.
ライ・ウイスキー おれは泣く
If You Don't Give me rye wiskey,
もしライ・ウイスキーをくれなけりゃ
I surely will die.
おれは確実に死ぬぞ

If the ocean was wiskey
もし海がウイスキーでできてたら
and I was a duck,
おれはアヒルになるぞ
I'd dive to the bottom
底までもぐって
and never come up.
二度と浮きあがってくるもんか

Way up on Clinch Mountain
折れ曲がった山のうえで
I wander alone,
おれはひとり考える
I'm drink as devil.
おれは悪魔のごとく酒を飲むから
Just leave me alone.
ほっといてくれ

I'll eat when I'm hungry,
おれは腹がへったとき飯を食い
I'll drink when I'm dry,
喉が渇いたときに酒を飲む
If a tree don't fall on me,
もし木がオレの上に倒れてこなければ
I'll live till I die.
おれは「死ぬまで生きる」だろう

It's wiskey, rye wiskey,
たかがウイスキー ライ・ウイスキー
You're no friend to me,
おまえは友だちなんかじゃない
You killed my poor daddy,
おまえは可哀想なおれのおやじを殺し
Goddam you try me.
こんちくしょー! おれまで殺す気か

G D Em Bm C7 G

 なんかこうしてみんなと歌を歌っていると、大昔にもこうして焚き火を囲んでいたような気になってくる。歌や神話は何十万年ものあいだ口承で受けつがれてきたものだし、古代の洞窟だろうが、現代のマンションだろうが、同じことをやっているんだろうな。
 オレがストリートで学んできた歌をみんなに教え、それをみんながまた誰かに伝えていく。そんなふうな壮大に循環する歴史の一点にこのこたつライブのあるのだろう。

 オレの演奏とワークショップが終わり、タクヤがディジュリドゥーを吹いてくれた。
 目を閉じて聴いていると、雨の音や風のささやき、動物たちの声や木々たちの踊りが聞こえてくる。タクヤ自身深い精神的な苦悩をくぐり、精神科に通い、旅をし、ディジュリドゥーに出会い、少しずつ自分を解放していった歴史が今、豊穣な音となって人々を癒す。涙が出るほど素晴らしい演奏だった。

 みっちーやアイリンや真咲やトシがつくってくれたマクロビオティックの鍋を囲み、楽しそうに談笑するみんなの姿はまさに原始部族だった。
 できたてのホヤホヤである元藤監督のDVDを鑑賞しながら、「人の一生屁のごとし」のギャグセンスに笑いころげる。トシやマユやチーボーも出演しているし、ネアリカに参加したミズホやナオやアイリンの名前もテロップで流れる。
 すばらしい仲間たちと出会い、今回の人生は最高だわ。
 オレは宴会がつづいたせいでどうやら風邪をひいたらしい。のどは枯れるし、鼻水は止まらないし、熱も出てきた。
 スーパーバカも風邪ひくのね。
 人間だったと逆に安心。