3連ちゃんライブを終えて帰ってきました。
3日間とも大盛況で本もCDも売り切れてしまったので、今日はずっとひとりで「alone 2」を焼き、ジャケをプリントし、梱包し、宛名書きをし、山のような封筒を抱えて郵便局に走り、いまだにCDを焼きつづけています。
ひとりの人間ができる仕事量を天文学的に越えているので、数日前からメールの返信もまったくできません。
マジ、影武者が10人くらい欲しいわ。さらに限界へ挑戦するため、これから感想集をつくり、ライブレポートを書くぞ。
10月20日(金)
90リットルもはいるバックパックに、ミニアンプ、マイクスタンド、徹夜で焼いたCDや自著を詰め込めるだけつめこむ。あまりの重さによろける。これは沖縄や新潟のライブツアーを越える重量だ。どのくらいあるか体重計で計ってみると……
56キロ!
これにギターを足せば、ほぼオレの体重と同じになる。
ふと遭難者を背負って雪山から下りるオヤジを想像した。オレはオレの分身を背負ってライブにむかうのだ。
ラッキーなことに「ライブバー水族館」は新大久保の駅から1分のところにあった。
地下の階段を降りていきドアを開けると、水槽がずらりと並んでいる。亀やアマゾンのアロアナが妖しい雰囲気をかもしだしている。さすがヒッピー界の重鎮フーゲツのジュンさんが選んだだけあって70年代のアンダーグラウンドを彷彿させる店だった。
アヤワス画「鹿の精」を買ってくれたピリカに絵をわたす。ピリカは大きな目をさらにひんむいて驚いていた。
むふふ、実物はウエブで見る画像なんかくらべものにならない迫力なのだ。作者にさえ予想できなかった呪術的パワーがこもっている。ハロウィンがテーマである今夜のライブにはぴったりではないか。死者たちがこの絵を中継基地にしてオレたちを守ってくれるだろう。
カボチャやコウモリのモールでデコレートされた店内は、ステージを浸食するくらいイスをだしても間に合わないほどギュウギュウづめである。
オープニングはマツイサトコの弾き語りだ。
のびやかな声と美しいメロディーが異国での孤独を描く。サトコはサンフランシスコやニューメキシコに留学し、ニューヨークでウエイトレスもやっていた。彼女が働いていたレストランは25年まえオレがシェフをやっていた日本レストラン「SHOGUN」の跡地に建てられたものと思われる。80年代と2000年代がシンクロする。いかに時代がちがっても異国での孤独は普遍的な創造力を生むと確信するほどサトコの楽曲はすばらしかった。
つぎはロックバンド「ねたのよい」だ。
「現代の村八分」と紹介されたが、オレはベルベッツを思い出したね。強引で退廃的で、かつ繊細なサウンドは胸をかきむしるような郷愁を感じさせる。やつらはもっともっと落ちて、堕ちて、墜ちて、地獄のそこにある透明な泉を汲みあげる可能性がある。いいバンドだわ。
3番手はララリーヌだ。
いきなり大正時代の着物にブーツを履いて登場する。戦後歌謡の大スターで「ブギの女王」とうたわれた笠置シヅ子のナンバーから「イパネマの娘」を「イカ焼きの娘」に替え歌して笑わせるエンターティナーだ。ララリーヌは日本最南端の波照間島に移住し一子をもうける。オレたちがライブをした波照間唯一のライブハウス「パナヌファ」のジュンさんやヨシミちゃんとも親友である。波照間を歌ったオリジナル曲「波まくら」と「ひまわりの唄」は波照間の波と風を感じさせる希有な楽曲だった。
ララリーヌの歌に合わせ、母子でインドをまわってきたアヤの娘ララ(9歳)が魔法使いの帽子をかぶって踊る。予想外の演出に観客が心から微笑んでいた。
ララリーヌをサポートするギターの永守健治さんは天才だ。神技のようなギターワークにオレはしびれまくり、いつかいっしょに演奏したいという野望を抱いた。
主催者フーゲツのジュンの朗読がはじまる。
70年代には数十万人のヒッピーがいたが、時代に呑まれ消えていった。現存するヒッピーは80歳のナナオさんをはじめ数十人だろう。そんななか次世代に聖火リレーをつなげる仕事をしているのがジュンさんだ。
アレン・ギンズバーグから引き継がれるポエトリーリーディング(詩の朗読)の伝統を日本で復活させ、誰でも参加できるオープンマイク・イベントを毎月連続60回もつづけてきた。これはヒッピーの大御所たちもとうてい真似できない快挙である。
もしヒッピー世代と現代のあいだにジュンさんがいなければ、アメリカから日本に飛び火した聖火は消えていたはずだ。あと10年もすれば彼の仕事がどれだけ重要だったか、歴史が気づくだろう。
トリをさせてもらったオレは1時間ほど演奏した。
ヒッピー世代やジュンさんからわたされた聖火を次の世代に伝えなければならない。
今日の選曲はこうだ。
1 今日は死ぬのにもってこいの日だ
2 リストカッター
3 uncoditional love
4 Be yourself
「神の肉テオナナカトル」朗読(p256→259)
5 背中
6 alone
7 ぼくの居場所
8 祈りの歌
これは観客からきいた笑い話だが、
「おまえが生まれるとき世界は笑い おまえは泣く おまえが死ぬとき世界は泣き おまえは笑う」
とオレが歌いだしたとき、ずっと回遊していたアロアナ(アマゾンの魚)がピタリと制止してうしろからオレをにらんだ。だとさ。
会場にはヤワスカで描いた絵もあるし、アロアナも「むむむ、こいつ。アマゾンの臭いがする」となつかしがってくれたのかもしれない。
ジュンさんから聖火をわたされたオレは「alone」を歌う。
ぼくの後をくるな ぼくは導かない
ぼくの前をゆくな ぼくは従わない
ぼくとともに歩め 同じ痛み抱えて
ぼくたちはひとつだ alone is not lonely
最後の2曲で、いまや押しも押されぬONSENSのベーシストになったリュウが飛び入りしてくれる。飛び入りと言っても、1週間前にリュウはわざわざ日光にきてくれ、ちゃんとふたりで練習している。ONSENSのすごさは誰も知らない「水面下の努力」である。リュウはプロのベーシストに師事し、毎週レッスンを受けているのだ。
陰になり日なたになり支えてくれた恋女房のタケちゃんが北海道に引っ越してしまった今、正直言ってかなり孤独だ。後妻のようなリュウが群馬からかけつけてサポートしてくれるのは本当に心強い。やっぱONSENSの仲間と演奏すると、足し算じゃない掛け算の効果が生まれるんだ。
ハロウィンは死者がよみがえる日だ。
苦しんでいる生者も死者もいっしょになって「祈りの歌」を歌ってくれる。
ヨウコの乳ガン写真を白い額に入れ、おやじの遺骨ネックレスとともにライブに連れていく。この歌だけは特別なんだ。ライブのたびに曲をダブらないようにするオレが「祈りの歌」だけは毎回歌う。
今いちばん伝えたいことはすべてこの歌に凝縮されているから。
すべてを歌い終えたとき、ジュンさんと握手する。
マツイサトコ、
ララリーヌ、
ねたのよい、
一期一会で出会ったみんながつぎつぎとやってきて、握手&ハグする。
もうすでに神話ははじまっている。
つぎは君が歴史になる番だ。
なにも考えずに出会った瞬間、
火はうつった。
photo by pilica