トモエが天国へ旅立ちました。 | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。


新潟のトモエのために祈ってくれてありがとうございました。


トモエは2回目の脳死鑑定を受け、トモエが自ら望んでいた臓器提供で5人の命を救い、天国へ帰りました。

ずっと人々に尽くしたトモエらしい最後です。

楽屋でトモエが倒れたイベントは、「いっぺん死んでみる」ワークショップで、トモエは講師としてステージに上がる前に病院へ運ばれ、子供たちとの時間を過ごし、脳死のまま亡くなりました。



いつもまわりを笑わせてくれたトモエらしい、伝説に残る最期でした。

トモエ、あなたの人生は最高だった。

見えない世界から子供たちを守ってあげてください。

最後に2年前にトモエがブログに書いたメッセージをのせておきます。




新潟のやらかしトモエです。

二年前のエイプリルフール(2017.4.1)に。

その時、39歳だった主人(パパ)は、私と。三人の子供たちを残して空へと旅立ちました。


遺影に イェーイ!のパパさん。


それから一年と半年たったころ、いろいろと繋がり、繋がって。

なぜか、アキラさんのブログに辿り着きました。

なぜか。アキラさんの「勇者の石」がひっかかりました。

どこのブログを見たのかも忘れましたが、私の価値観をひっくり返してくれました。

え?!パパは。病気に負けたんじゃないのかも?!

それを決めて産まれてきてたのかも?!

パパって、勇者だったの?!

それは、物凄い衝撃でした。

そして。その時。悲しみと共に、私の心に重くのしかかっていたこと。

それは。。。

パパは、11年間白血病と戦い。

抗がん剤、骨髄移植。

ありとあらゆる治療をやりました。

でも。私はそれを側で見守っていただけで。

自分で動いてはいませんでした。

いつも。側にいただけ。

セカンド・オピニオンを受けようと思ったのは、最後の最後。

やることが尽きてから。

限界が近くなってから。

やっと。

その時にやっと、

自分で出来ることをしたいと思い。

セカンド・オピニオンを受けに東京まで一人で行きました。 

 ですが。言われた言葉は。
もう、やれることはない

という、同じ言葉でした。

もっと、早く動いていたら。

まだ、パパは、この世にいたんじゃないだろか?!

もっと前に、動けていたら。

もっと、違う未来があったんじゃないだろうか。。。

いや。

きっとこれで良かったんだ。

これが最善の結果だったんだ!と自分に言い聞かせながらも。

 どうしても。心の片隅にいつもひっかかっていました。

だから。アキラさんの言葉は。

歌の歌詞は。目から鱗の衝撃でした。



たしかに。本当に彼の姿は、たくさんの人に勇気と希望と元気を伝えていました。

だとするならば。

パパは。病気に負けたんじゃないんだ。

パパは。勇者だったんだ!

そんな考え方があるなんて。。。。!!

そう思えると。不思議と私の心に重くのしかかっていてた後悔も。薄くなっていくのを感じました。

決めてきたんじゃ、しょうがない。

負けた訳じゃない。パパが。そうしたかったんだ!

そして。皆にも。私にも。子とも達にも。

その生きる姿を見せたかったんだ!!


知らない人しかいない合宿に。人見知りマックスの私が。

しかも一人で北海道なんて!

なんでか分からない。

でも、いかなければ行けない。

そんな訳の分からない理由を書いて、

みかんさんに申し込みをしました。

アキラさんを見たこともない。歌も知らない。

でも、気になった。

行かなければならない衝動に駆られて。夢中で向かった北海道。

そこが。きっと、私の「スタート地点」でした。




東京  AKIRA絵画教室 


新潟  AKIRA 自伝の書き方 ワンデー 、名古屋   七夕AKIRAみかんライブ 共同主催。

ADHDの私は。
やらかさないように、
やらかさないように。
人に迷惑をかけないように。
ただ、それだけをひたすらに考えて生きてきました。

でも。帰ってきて。

点と点がどんどんと繋がって。

もう。そうするしかないような、

それが、答えのような気がして。

パパの49日に。アキラさんに非公開ライブをお願いすることにしました。



主催者の所に書かれた名前。

「やらかしトモエ」。




やらかさないように、やらかさないように。

迷惑かけないように生きていたのに。

やらかしトモエって!!!

もう。笑ってしまって。

嬉しくなってしまって。

アキラさんのメールでもらった、

「やらかすのも才能!」

やらかしてもいいんだ。
それでもいいんだ!
そんな自分のままでいいんだ!

目から鱗の2回目でした。

嬉しくて嬉しくて。

やらかす自分が。

やらかす自分を。

はじめて 好きになれた瞬間でした。

合宿にいって。そこからの半年。

私の中ではそれはそれは大きな変化が起きました。

生きる事が。輝いて見えるようになりました。

目の前の人が。いとおしくてたまらなくなりました。



そこに至るまでの間。
どれだけ泣いて。
どれだけもがいたか分かりません。

でも。きっと。間違って無かった。

今は、胸をはって言えます。

私は。私の意思で。

どんな人でも大丈夫な世界を作りたい。

(まだ、自分のセブンイレブンのお店の中限定ですが)

 出来ない事を。補い合えばいい。
出来ないことがあるのは、当たり前。
それでも、必ずいいところがある。
自分で出来ることを。
自分の頭で考えて。
自分でできることで、役にたてばいい。

 皆が。ここに集まる人のすべてが、そんな関係を持てたら!(お客様も含めて)

そして。みんなが協力しあって。助け合って。

そして、「笑顔の店を作りたい」。

それが。今の私の気持ちです。

私の周りの小さな世界の中でだけですが。

そんな素敵な世界を作りたい。

そんな風に思って店にたっています。




アキラさんの(オペラ処女作)「虹の輪」。

たぶん。ここにいる人の全てが、同じように感じているのではないかと思います。

同じ気持ちをもち。

同じ未来を描いている。

だからこそ。きっと知らない人の集まりでも、こんなにもあったかく。

こんなにも心が安らぐ空間になるんだと思っています。



今回。みかんさんから、ナレーターの話をもらったとき。

めちゃくちゃドキドキしました。

めちゃくちゃ不安に襲われました。

めちゃくちゃ、いや、私なんて!って。思いました。

でも。もう一人の私が。

心の底で、「それでもやりたい!」って、言いました。

いえ、叫びました。

泣きそうなぐらい不安だらけだけど。

それでも、やりたい!

声をかけてもらったことに、応えたい!

そして。皆でやりきりたい!!!




その場のすべての人が同じ気持ちになれるように、伝えられるように。

そんなことは、出来ないかもしれないけれど。

出来ないじゃなくて。

やる。

やれることの精一杯を、やる。
ただ、やる!!!

そんなふうに。思いました。

虹の輪のお話は。
そのまんま。今の私に必要な言葉でした。
今の私が求めるものでした。

ナレーターだけが、大変な訳でもなく。

一人一人が大切で。

皆で一緒に作り上げる物だと思っています。

でも。皆を。大切なお話を。こんな私のナレーターで。大丈夫なのか?!

いまだに。決めた後も、自問自答が続いています。

脚本をもらって。事の重大さに、足がガクガク震えている感じです。

そんな私ですが。

唯一の希望は。

そこに集まる人たち。

ここにいる仲間たち。

一人じゃない。
皆がいる。




たとえ。失敗しても、カバーしてくれる。
笑ってくれる。
フォローしてくれる。
そして。
絶対に最後は。泣きながら皆で笑ってる。
そんな、イメージが見えるのです。



だから。頑張りたいです。

精一杯。やらせてください。

宜しくお願い致します!