御徒町からきた女 | New 天の邪鬼日記

New 天の邪鬼日記

小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 今日は一日中「ハワイアン演歌」を録音していた。
 「百目鬼の挑戦状」クイズに当選した3名に送るためのオリジナルCDである。
 なんで3人しか聞かないCDをわざわざ一日もかけて録音するのかという疑問もよぎったが、きのう「ムダは飯抜きでやれ」と書いたように朝飯しか食ってない。
 この「ハワイアン演歌」というのが、またくだらないのよ。
 今から20年まえの1985年、オレはニューヨークからハワイに移住した。
 ヘロイン中毒でボロボロになったオレは借金をかき集め、アメリカ国内でいちばん遠いところへ逃げた(違法滞在だから国外へ出るともどれない)。
 想像するだけで笑えるけど、新婚旅行のカップルがたわむれるワイキキビーチで、手首から腋の下まで注射だこをつけたガリガリのジャンキーがライターであぶられるイモムシのごとくもだえてるんだ。
 オカマに体を売ったり、ハワイのシャーマンに助けられたりしながら、禁断症状と闘っている。ニューヨークでは創作につぐ創作をつづけてきたオレにとって、プッツリと断たれたのはヘロインだけじゃなく、創作の禁断症状だった。
 ビーチでもだえてるのも苦しいんで、海に飛びこむ。体力の限界まで落ちてるんで、10メートルも泳がないうちに沈む。何度もわざと海水をガブ飲みして自殺してみる。
 ビーチで華厳の滝のごとく吐いて、しょっぱくて、苦しくて、しかも監視員から目をつけられたので、
 溺れ死ぬのはやめた。
 とにかく禁断症状から逃れるためになんかしてないと狂ってしまう。べつに狂ってしまったほうが楽かもしんないし、もう狂ってしまっているのかもしんない。
 たしかに狂っていた。
 花のワイキキビーチでのたうちながら聞いたこともない演歌のメロディーが鳴りやまないのだ。
 おまけにむちゃくしゃな歌詞が暴れまくる。オレは狂っていたので、この詩が「神からのメッセージだ」、「文化遺産のようなこの詩を後世に残さなければ」と本気で思った。
 ダウンタウンの娼婦街にある文房具屋で筆と墨汁を買い、ハワイ大学の図書館に忍びこみ、机に墨を飛び散らせて、「聖なる予言」を書道したのだ。
0601ハワイ演歌
 今まで恥ずかしすぎてプロフィールにものせられなかった「神の啓示」を、今日は一気に清書してしまったので、21年の歳月を経てここに公開(後悔)しよう。

 「御徒町からきた女」


ジェイムスの長電話
不機嫌に切り
フォーンコード引きちぎり
受話器で窓を割る
忘れるわ忘れるわ
あの日のあやまちは
ハワイ色町恋の町
わたし生まれは御徒町


ご多忙と察すれば
わざわざこのような
身に余るおもてなし
しみじみ袖濡らす
そんな下に剥いたなら
ヒリヒリしちゃう
決して歯だけは立てないで
きみは無口な積極派


小生意気な口をきく
よしみつさんを
うるせえと突き飛ばし
一気にねじふせる
乱暴はいけないわ
病みつきになるから
やわな男に惚れました
けれどアスコは硬いのよ


ぼんのくぼ圧すときは
やさしくしてね
肥料もしっかり畑に撒いて
つらいのよつらいのよ
ひとりのヤムヤムは
腫瘍もうずく月の夜
あなた不埒な按摩さん


「フラメンコも踊れない女が増えたね」と
あの人はしむみりと
グラスをかたぶけた
わたしなら踊れます
腰振り乱しても
今に見ていろ田舎者
あとでほえ面かき氷


サーチライトに照らされた
わたしを見ないでね
ましてレンズ押し当てて
わたしを撮らないで
そんな器具をつかったら
乙女に傷がつく
デパートガウルの恋の花
いやよグリグリ踏まないで


あだやかなあの人の
寝顔に口づけて
長いまつげつまみ上げ
メンタムすりつける
愛しくて愛しくて
思わずいじめちゃう
のたうつ姿も胸を打つ
わたし危険な幼妻


そびえ立つあの人の
全体の形は
空にむかって垂直に
たしかに見えました
お願いよ許してよ
なんでもします
よるなさわるな
ケダモノめ
けれどやるなら早くして


おおい山田ツラをだせ
卑怯は許さんぞ
はしたないその声に
自分でほほ染める
ガマガエルガマガエル
伝えてこの気持ち
窓に引かれたカーテンに
わたし思わず火を放つ

10
アラモアナの海に落つ
夕日に肩よせて
ひょっとこの口をして
奥まで吸い上げる
関係をするのなら
星降る晩がいい
形はっきり見えるもの
そんなわたしは変わり者

11
ビールびんケツに挿し
おどけてみせる人
そんなにまでしなくても
わたしは泣きやむわ
変態よ変態よ
あっちへいいて
けれどびんだけ置いてって
そんなふたりは似合い者

※PS1
オレの日記で何度か紹介した熊本の須藤さんは、去年の1月から食道ガンにかかった80歳の父親の「介護日記」を送ってくれていた。そのお父さんが永眠された。オレはこんなメールを書いた。

お父さん、すてきな学びをありがとう。
須藤さんを生んでくれてありがとう。
カムイモシリから須藤さんや家族やみんなをお守りください。
カムイピリカ、
チコプンキネイエ、カルカンナ。
(わたしは心から美しい神様にそう祈ります。)
須藤さん、お疲れさま。
肉親の死はボディーブロウのようにあとから効いてくるけど、その時期を過ぎれば信じられないほどの変化や新しい展開をお父さんが用意してくれることに驚くはず。
そして生きているときより身近に父親の愛を感じるようになる。
両親を亡くした先輩が言うんだからまちがいないです。
死者は生者を守るため絶妙のタイミングで死を選ぶ。
後悔や悲しみで大いなる学びの機会を逃さないように。
We are born to love.
(2006 1/23 AKIRA)

 須藤さんの返事を紹介しよう。

亡くなる何日か前から「世話になったなあ」といいはじめ、えっ と思っていました。
珍しく夜熟睡できた朝、とても気分がよかったのか、朝から「粥が食べたい」と所望したので食べさせたら、美味しいと喜びました。「今日は酒を飲もうか?」と父が言ったので、
ティースプーンで舌に少し落としたら「ああ 美味い。美味しいなあ」と喜ました。氷水を飲ませても「ああ 美味いなあ」、お茶を飲ませても「ああ 美味い。美味しいなあ」と喜ぶ父でした。
そういう時を半日送りました。そういう父の姿を見ることができたことは、本当に幸せでした。あの穏やかな表情の父を見たら、もう十分かなあとも感じています。
修羅の時を過ごして、憎しみを抱きながら父と別れるのかと思っていましたが、最後は愛情で見送ることができたことは嬉しいことでした。これ以上は持ちこたえきれない という状況のとき、父は逝ってしまいましたが、それも最後の教えかなとも感じています。

※PS2
あんなに元気になったはずのハルカがまた自殺未遂をした。
 おーいハルカ、もっとバカになれ。死んでも治らないバカは自殺しないぞ。
 死にたくなったらオレたちのもとへこい。

 人類が滅亡しても、
 うちの玄関は開いてるぞ。