「祈りプロジェクトⅢ」 | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 やった-、マキが退院したぜい!!!
 「引退」ではないので、腎臓から人工的に尿を排泄するためにつけた「ナイジンロウ」を「いらナイジンロウ」にしようぜ。

 直腸ガン手術を受けたDaiのお母さんの術後報告はこうだ

腹を開けてみると、癌細胞があちこちに転移し、直腸を突き破った癌細胞は、腹膜やリンパ節、仙骨にまで達していた。
その中でも、仙骨への転移は、静脈を傷つけてしまうため、切り取ることが出来ない。
末期の癌であった。
家族皆が、希望をなくし、泣いた。
皆が必死に、苦しみに耐えていた。
しかし、どん底まで落ちたら、後は上がるしかない。
例え1パーセントでも可能性があるんだったら、絶対に諦めたくない!
諦めたら、そこで終わりだから!!
それは、俺ら兄弟が小さい頃から母から教わったこと。
俺らが生まれてくる時、母はお腹を痛めて必死に生んでくれた。
俺が生まれて間もなく、俺は心臓病となった。
医者からも助かる確率は低いと見放された。
小さな赤ん坊だった俺の体中には、人工的で痛々しいほどの針や管が巻きつけられ、手で外さないようにと、両手はベットに縛られていた。
親として辛かったことだろう。
生きれたとしてもまともな生活は無理だろうと見放された俺を、母は信じ続けてくれた。
そんな強さに育まれて俺はプロキックボクサーとして日本で5位にまで登り詰めた。
パキスタン地震の時も、インドネシア津波の時も、ガザ地区に入ったときも、皆が絶望的になる中で、母は決して信じることを諦めなかった。
だから今、俺はここにいる。
そう信じている。
母からもらったものは、必ず返していく。(以上抜粋)

 そんなとき突然、明子さんがDaiのお母さんのお見舞いにきたのだ。
 もちろん彼らはまったく面識がない。
 2002年、ネアリカ(毛糸絵画)のボランティアに参加してくれた明子さんが肺ガンを宣告され(11月19日の日記12月18~20の日記参照)。全国から届く励ましのメールに明子さんは「体がほてるほど元気になった」という。
 12月19日満月の日、聖マリアンヌ大学病院の名医がいざ手術をしてみると……ガンが消えていたのだ。
 元気に退院した明子さんは早稲田大学に入学し、50代でキャンパスライフをエンジョイしてる。

 その 明子さんが、いきなり会ったこともないDaiのお母さんをお見舞いにくるとは……。
 あまりにも予想できない展開に腰が抜けそうになった。
 たぶん明子さんはいてもたってもいられず、
 「伝えること」を選んだんだろう。
 以下、Daiの日記を引用する。

昨日、一人の女性が病院に母を訪ねてきてくれた。
彼女は、僕が慕っているあきらさんによる、最初の祈りプロジェクトで死の淵から生還した奇跡の女性だ。
手術中、そして生きることを諦めそうになった時に、皆の祈りが届くのを感じ、皆の声で励まされ生きたいと強く思った!
そうあの時のことを話してくれた。
彼女の口から発する”生きる”という言葉には 深く清らかなものを感じた。
そしてあきらさんの前回の祈りプロジェクトで救われた女性マキちゃんも応援メッセージを送ってくれた。
彼女は、末期の子宮癌だった。
症状で言えば母よりもっと重いものだった。
一度は悲観的になり、生きる希望を失いかけた。
彼女もまた、皆の祈りと励ましのメッセージで生きる希望をもらった。
心の底から湧き出る”生きたい”という底力は、なんと体の中にあった癌細胞をすべて消してしまった。
そして昨日めでたく退院となった。
こうして奇跡は起きている。
わずかでも望みがあるのならば、それにかけてみたい。
どうか皆様のあたたかい祈りとメッセージを母親に届けてくれませんか?!
僕は、お母さんを救いたい。
お願いします。
そして、癌と向き合う上で有効な対処法がありましたら教えてください。
母の名前は、鈴木 常子(つねこ)
東神奈川にある済世会病院にいます。(以上抜粋)

 「生きる」ことは、伝言ゲームだ。
 自分の遺伝子を伝えるために、
 自分の想いを伝えるために、
 自分のしょうもなさを伝えるために、
 自分にできるなにかを伝えるために、
 そう、
 伝えるためだけに、
 オレたちは「今」「ここ」で、
 胸いっぱいの空気を吸う。