石垣島ライブレポート2 | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

12月17日(日)
朝っぱらから暴風雨が荒れ狂っている。
昨日の波予報は4メートルから5メートル、今日の波は7メートルから5メートルと新聞にでていた。通常4メートルの波で船は欠航になる。波照間海運の3つのフェリーは全便欠航だという。安栄観光の1便と2便も欠航が発表された。
たのみの綱である空港へ電話をいれる。
1便は欠航、2便目の予約は一名分だけ残っていた。ヨウコをキャンセル待ちにし、とりあえずオレの名前で予約する。
なんとしても今日中に石垣島に帰らなければならない。
夜の10時と深夜2時半にライブがあるからだ。もし最後の船と最後の飛行機が出なければたくさんの観客たちを裏切ることになってしまう。
ジュンさんが西浜荘の部屋に飛び込んできた。
「2便目の最後の飛行機も欠航が決まった。強風のためじゃなく整備不良のせいやというとった。残るは最後の船だけやね」
オレは平然を装い宿に置いてあった手塚治の「ブッダ」を読むがなかなか頭にはいらない。「ブッダ」を4冊読み終わっても窓の外の暴風はおさまりそうにない。ヨウコはオレひとりだけでもなんとか石垣に帰さなければならないと、暴風雨の中ひそかに港周辺の空き缶拾いをし、願掛けをしてくれていた。
2時半に石垣から波照間へのフェリーが来ることが決まった。しかし、波照間近海の波が高ければひき返すこともありえるという。波が高くてもなんとか波照間に到着しさえすれば石垣にはもどれるのだ。
ううむ、今晩「colors」の前に「AKIRAライブは中止」の張り紙が出される様子が見えかけ不安になる。そこにヨウコのツルの一声が聞こえる。
「私って乗物運がいいのよ。以前SARSの真っ只中にアジアを旅したときも、ありえない奇跡で欠航になってもおかしくないはずの飛行機がすいすい飛んで旅をつづけることができたのよ。私がいる限りはだいじょうぶ。3便の船は無事波照間に到着するわ」
船の到着時間にそなえ港に向かう。
やってくる船が見えるという防波堤に車を走らせてもらいじっと小さな船の姿を待つ。見えるのは白波ばかりだ。やっぱり無理か…。とあきらめかけたその時だ。
「船が見えたで!!」
ジュンさんが叫ぶ。うおおー、最後の最後になってまさに命拾いだ。

波照間ではオペラをやったため、きょうのcolorsライブは1部2部を合わせて全25曲思いっきり歌いきるぞと決めた。一ヶ月にわたる離島ツアーの総決算だ。
石垣島を代表するDJ、ヨシやベッタン(自在屋)たちがサポートしてくれるので心強い限りだ。
地元の人をはじめ、日本中からこの楽園に移り住んだ人たちがかけつけてくれる。空港の検査官はさらに数を増し、6人にふくれあがった(笑)。おおっ、国立天文台で天の川を観測する博士もきてくれた。カナダ人のかご職人、看護婦さん、保育園の保母さん、高校の先生などなど、たくさんの人が待っていてくれた。
 photo by YOKO 

1 アヤワスカ
2 ぼくの居場所
3 旅立ちの歌
4 いたいのいたいのとんでけ
5 ミタクオヤシン
6 alone
7 メリークリスマス・チルドレン
8 Be yourself
9 ベスト
10 ぬちどぅ宝

空港検査官の男性が「崖を飛びこむ乙女の命、鎌で首切る農夫の命」で声をあげて号泣してしまった。こんな素直に泣けるなんて素晴らしいことだと思う。
1stステージは10曲のはずだったが、アンコールがつづき、さらに4曲もやってしまった。望まれればいくらでも歌いますよ。持ち歌はいくらでもあるのだから。

11 今日は死ぬのにもってこいの日だ
12 天使のkiss
13 Fu fu bird
14 背中

ステージを終えると、とっくに深夜12時をまわっていた。CDや本を買ってくれた人にサインし、観客と話してるうちに2時近くなった。
さすがに大揺れの船で疲労困憊しているので30分ほど仮眠をとった。それにしても体力だけは並外れているなあと、自分であきれてしまう。
2ndステージはナイトスポットやバーでの仕事を終えた人たちが集まってくれた。彼らも疲れているのにありがたい限りである。
この時間帯はやっぱラブソングでしょう。愛の波状攻撃、いくどー!

15 Beautiful
16 Uncorditional love
17 心がくしゃみをした朝
18 だいじょうぶマイフレンド
19 ムーンタイム
20 Fragaile
21 ソウルメイト
22 Hello my mom
23 リストカッター
24 祈りの歌
25 聖夜

「歌で泣いたのははじめてです」と何人もから言われた。オーナーのタンジくんは後半全曲泣きっぱなしだったという。
みんな楽園を求めてこの島にやってきたが、楽園にも生活がある。つらいことも、傷つけられることも、ふられることもある。
だからこそ生きるってことは、むしょうに愛しいのだ。

12月19日(火)

ヨウコの送別会にと友人たちがバーベキュー・パーティーを開いてくれた。
白保海岸を望む丘陵地帯からは満点の星がみわたせる。農業を営むヨウスケ&トモ夫婦は1歳のフクネを育てながら農業を営んでいる。家のまわりで無農薬栽培された野菜は格別である。
地母屋のソウくん&アヤちゃん夫婦と5歳のカエデと1歳のクータ、ヨシくん&アービン夫婦と1歳の壱風(いっぷう)、ミワちゃんと4歳の地球(みずたま)と1歳の虹丸(にじまる)、不動産屋のカルロ、colorsライブにきてくれたカナダ人のかご職人リオネルと旅人エミカ、どこにでも出没するアーティスト・オビなどが集まった。
男たちは焚き火を囲み、ワインと日本酒で語り合う。女たちは室内で子供たちと遊びながら談笑する。アメリカでインディアンたちと暮らした日々がよみがえる。この若い夫婦たちと子供たちは先住民のように自然に逆らわない暮らしを楽しんでいる。
島で暮らすということは、肩の力をぬき、風に吹かれながら、生を楽しむという、あたりまえな忘れ物をとりにいくことかもしれない。

12月20日(水)

八重山諸島での全ライブが終わったのもつかの間、ヨウコの引越し荷物をまとめはじめる。7年間住んだ石垣島を病気で離れることになったヨウコの心中は複雑だ。
病気にさえならなければずっとこの楽園に住めたのに、自分だけがなぜ出ていかなければいけないんだろう。元夫からの暴力さえなければずっと楽しく暮らしていたはずなのだ。
ふと見るとヨウコが涙を流している。
元夫のもとから逃げ出したのがちょうど3年前のクリスマスの夜だったという。今度は堂々とした昼の引越しだが、恐怖におびえながら夜逃げしたときのことを思い出し涙が止まらなくなってしまったのだ。ヨウコは夜逃げしたあともクリスマスや正月を号泣の日々の中暮らしたのだろう。
家出から1年間泣きつづけた日々、その1年を過ごした家の前を通りかかる。小さな赤瓦のかわいい家だ。もう2度とここに住むことはないだろう、家にお礼を言って通りすぎる。島にある御獄(うたき)にも一礼する。お世話になった人々に会い、別れを告げる。
たとえどんなことがあったにせよ、ヨウコはこの島を愛していたんだなあと思う。
photo by AKIRA

ヨウコがいかにシンプルな暮らしをしていたとはいえ、段ボール16個の大荷物である。
このすべてが新しい出発の地、群馬の前橋に送られる。
オレたちも明日那覇に立ち、22日の追加公演を最後に沖縄を去る。
ヨウコが7年も住みつづけただけあって、石垣はすばらしい島だった。
ありがとう石垣、
ありがとう森の精霊たち、
ありがとう素敵な仲間たち。
来年必ずもどってくるよ。
永遠にここへもどってくるよ。