沖縄ライブ最終レポート | New 天の邪鬼日記

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0612西表新聞12/24琉球新報より記事:半田知絵

 12月22日(金)
 奇しくも今日は冬至、一年中で一番昼が短く夜が長い日に沖縄ツアーが終わる。
 1ヵ月にわたる沖縄ツアーは11月25日の那覇XAYMACA(ザイマカ)からはじまった。そこで追加公演の話がもちあがり、最後もXAYMACAで終えることとなったんだ。同じ地点から出発した円環の輪が同じ地点で閉じるという完璧なシチュエーションではないか。
 沖縄本島に住む友人たちはもちろん、離島や本土からもたくさんの人が集まってくれた。
 11月25日にも出演してくれたタクヤが美しいディジュリドゥーでオープニングを飾ってくれる。タクヤのディジュは豊かな音色を自由奔放にあやつり、イマジネーションを子供のように遊ばせてくれる。
0612那覇ライオンphoto by YOKO

 曲順を書いたメモが失われてしまったので、おぼえているところを記しておく。
 「マヨネーズと電話帳」、「Be yourself」では、ヒロのジャンベがむっちゃいいグルーブを出してくれた。沖縄で演奏する「ぬちどぅ宝」にはもはや欠かせない存在となったノリ坊がサンシンで共演してくれた。
 おまけにビッグ・サプライズは、ジャンベの神様ユール・ジャバテが登場!
 ユールはギニア・コナクリでグリオ(吟遊詩人)の家系に生まれ、ヨーロッパのTV、映画に出演、ドキュメンタリー映画「ジャンベ・ホラ」で世界的に有名なママディ・ケイタともたくさん共演している。オレは13年まえに原宿PAPファクトリーでおこなわれたユールの絵画個展で会っている。奥さんのミナちゃんと品川の検疫所でバッタリ遭遇したり、5月には彼ら夫婦の営む「ワラバ・カフェ」でもライブをさせてもらった。そのときもユールはツアーでいなかったので、なんと13年ぶりの再会なのだ。
 オレたちは再会の喜びを胸に「Hppy birthday」を演奏した。鳴りやまぬアンコールに、ユールのパーカッションに合わせ、ギニアの歌を観客全員で歌った。
 さらにさらに、喜納昌吉&チャンプルーズのキーボード石岡裕さんもやってきた。1997年9月新宿ロフトにておこなわれた「ネオ縄文ライヴ」で石岡さんや喜納さんと話したとき以来、これも9年ぶりの再会である。石岡さんに連れられ、ライブハウス「チャクラ」のある自社ビルを案内してもらった。200人くらいはいる「チャクラ」のほかにもライブスペースがあり、すばらしいレコーディングスタジオも完備されている。まさにサプライズの連続だ。
 ザイマカの店長ケイ、スタッフのマーシー、ナオキは、レゲエじゃないオレの歌に涙を流し、カウンターの中でずっと踊ってくれた。ウチナンチュー(沖縄人)もナイチャー(本土からの移住者)も旅人も、今日知り合ったばかりなのにまるで旧友のごとく仲良くなっている。オレのライブの特殊なところはこれだ。
 本当のことを言うと、ライブなんかメインじゃないんだ。
 こうして人と人とがつながっていくことがいちばんうれしい。
 おなじ想いをもった、ソウルメイトたちをつなげること。
 いわば、「虹の売人」。それがオレの仕事だ。
 沖縄で出会ったすべての仲間たちに、
 にふぇーでーびる(ありがとう)。
 かなさんど(大好きです)。

 最後に沖縄ツアーを企画、プロデュース、ポスター貼り、受付、会計、影の黒幕、すべてをひとりでやってくれたヨウコのことを書こう。
 沖縄に出かけるまえ、ヨウコは群馬や東京の病院でこんなことを言われた。
「1ヶ月間なにも治療しないでいることは自殺行為です」
 ある医師はツアー中にヨウコ容態が悪化したときのために友人である沖縄の医師を紹介してくれた。
 ヨウコが自分で決断したことだが、この1ヶ月間はいわばオレが主治医である。オレもさんざん迷ったが、「祈りの力」に賭けることにした。
 ライブで出会う数百人の仲間たちがヨウコのために祈ってくれる。その力を信じることにしたのだ。
 はたして祈りがとどくのか?
 はたして想いが形になるのか?
 ライブ版「祈りプロジェクト」がはじまった。

 11月25日那覇「XAYMACA」
 11月26日コザ「ひととき家」
 11月28日宮古島「南静園」
 11月29日宮古島「宮古養護学校」
 12月3日 宮古島「ISLA」
 12月8日 西表島「アートスペースIKEI」 
 12月10日石垣島「地母屋」
 12月15日波照間島「パナヌファ」 
 12月17日石垣島「COLORS」 
 12月22日那覇「XAYMACA」 
  
 さまざまな想いに支えられた。西表島のヨッシーや仲間たち、タスマニアのナオコは治療費、友人の冬姫やなみへーは交通費などをサポートしてくれた。このブログを読んでくれるみんなからもたくさんの励ましメールがとどいた。ヨウコは数々のライブを健常者以上に走りまわり、切り盛りしてくれた。
 そして……想いは形になった。

0609ヨウコのガン2006.10/20
 石垣島での抗がん剤治療で小さくならなかったガンは10センチ以上あった。

0611ヨウコ乳7日2006.11/7
 日光へきて急に8センチに縮まる。数日後群馬医大での検査では7.5センチと診断された。
 そして沖縄ライブ終了時に計ると……


 5センチだ!!
 祈ってくれた仲間たち、心からありがとう。
 オレたちは賭に勝った、みんなの「想いは形になった」んだよ。
 今、ヨウコは誰よりも元気だ。
 最高の仲間たちが待つ群馬へ引っ越し、
 これから新しい戦いがはじまる。